思い立ったが吉日日記。

笑いたい時は笑うの!泣きたい時は泣くの!書きたい時は書くの!自分の気持ちを無視してはいけないのだ。素直に生きることをモットーに働く主婦の胸の内を語ります。

そういえばあれってどうなったの?

世の中コロナで全てが狂ってしまったねぇ。

 

今年度、私は学童で副会長をしている。

学童の役員はいつも指導員の先生からの

指名で決まる。

 

今年度は白羽の矢がブスっと命中してしまい

潔く依頼を受けることにした。

 

 

保育園でも保護者会本部の役員をしていた。

これまた先生からの指名だ。

保育園の保護者会本部の任期は2年。

 

でもなぜか3年やる羽目に(笑)

 

大変だったけど色々と経験を積めて

まぁ、終わってみればやって

良かったかな〜って思える感じね。

 

 

子どもを持つようになってから

何かとご指名受けることが多くなった。

 

私なんて、昔から人の上に立って

何かをするようなタイプの人間じゃない。

人を動かすのは苦手だしね。

 

陰でコツコツ、縁の下の力持ち的な

スタンスは得意なんだけどね。

 

人の前で何かを話したりするのとか大嫌い。

緊張しまくって前日から吐き気がするくらい

超〜苦手。

 

だから「会長だけはご勘弁」って

ずっと断り続けて「副会長」もしくは

「会計」で手を打って頂いてきた(笑)

 

 

まぁ、しょうがないのよ。

誰かやらなければいけないのだから

出来る限り依頼にはお応えしたいと

思って引き受けるけど

人には向き、不向きってのがあるでしょ?

 

自分にとって相当なストレスになることは

やはりお引き受けできない。

私よりもっと適任者が居ると思うしね。

 

 

コロナで学童も基本的には預かりを停止。

2か月に1回の定例会も中止。

 

市の学童保育所の役員さんが集まる

定例会も中止。

 

中止、中止、中止のオンパレードで

今年は役員の仕事、ぜんぜんしてない(笑)

 

3月に役員になって初のお仕事となる

引継ぎを兼ねた保護者定例会の資料作りを

したにもかかわらず、それも中止に。

 

せっかく作ったのになぁ〜っていう思いと

合わせて、当日は司会進行もやらないと

いけなかったから、

それをやらなくてよくなった安心感とで

複雑な気分だったな。

 

 

そんなこんなで開店休業状態の役員の仕事。

 

学校の委員会活動も同じ感じだろうな。

 

 

学校の委員会といえば

昨年度は小学校の広報委員をやっていた。

 

各学年1名ずつの計6名で

年間4回、広報誌を発行するのがお仕事。

 

 

が、これが本当に大変だった。

 

誌面を作る作業も確かに大変だったけど

なにが一番大変だったかって

保護者同士の連携の難しさかな。

 

人それぞれ考え方も違うし

委員になってそれぞれの仕事への

取り組み方も違うし。

 

いやぁ〜モメたねぇ〜。

もめまくったねぇ〜。

 

正直、すんげー悔しい思いをしましたよ。

 

私、広報誌のデータ作成を

担当することになったんだけど

まぁ、何しろ他の皆さんと意見が

合わなくてっていうか、

 

合わなかったのは数名なんだけど。

 

いや、合わないっていうのも

ちょっと違うな、

意見のすれ違いっていうか

伝達不足・意思の疎通が

とれないっていうか。

 

何しろもう最悪な感じで

日々、悶々としながら

広報作りをしてたのよね。

 

 

4回のうち3回分のデータ作成をして

印刷の発注をして学校に納品。

最後の1回は別の人にお願いすることに

話し合いで決まったのだけど

 

結局、最後の号もスムーズにいかず

本来ならもう私は最後の号に

ノータッチでもいいんじゃね?

 

助けあげる必要なんてないんじゃね?

ってな状況だったけど

ほっておけない性分ってやつかな?

 

入稿の手続きをする最終段階では

なんとか作成者の力になれたらと思って

作成者と一緒に夜中?

つーか朝の4:00までかかって

手配の手伝いをしたわけですよ。

 

 

 

もともと6名いるうちの2名は

私のことをとても理解してくれて

私のことを支持してくれていた。

 

この2名が、私の気持ちをいつも

わかってくれていたから頑張って

3回分仕上げることができた。

 

3回分の広報の納品が仕上がった時点で

PTAの役員会からの報告で

うちの学校の広報が今のところ

優秀賞候補ナンバーワンだという報告を

受けた時はめちゃくちゃ嬉しかった。

 

つーか、広報誌のコンテスト的なものが

あったってことすら知らずに取り組んで

いたんだけど(笑)

 

 

最後の1回分で審査されて

結果がどうなったって知らない。

 

私としてはもう大満足だし(笑)

 

 

だけど・・・

その後、どうなったのかしら?

広報コンテストの結果は。

連絡こないから1位じゃなかったのかな。

 

 

 

広報のデータを制作するにあたって

昼休みや仕事の後に学校へ何度も足を運び

家では寝る時間を削って深夜まで作業。

 

 

不満や、やりきれない想いを抱えたまま

ただ、ただ、やるからにはいい広報を

作りたいと必死でやった。

 

人に何を言われようと

最後まで責任をもってやり遂げた。

そんな私の姿を見て、

広報委員のうちの一人のお母さんが

全ての広報の発行が終わり

委員会の仕事が全て終了した時に

 

ものすごく私の心に響く

メッセージをラインで送ってくれた。

 

 

あまりにも嬉しかったので

ここでざっくりまとめて載せちゃう(笑)

 

 

 

1年間お疲れさまでした。

広報委員の間で色々なことがありすぎて

人間関係はとても難しいと思いました。

 

もう、役員に関わりたくないな、

思っていましたが その一方で

はるさんのような方もいるのだと

思うと〇〇小学校も捨てたもんじゃ

ないなと思いました。

 

広報委員の間でぐちゃぐちゃになって

いた時もはるさんは終始大人な対応を

されていて仕事を全うしてくださいました。

 

最終的に外部からも認められる

広報を作り上げてくださって

こんな言い方、変ですが

 

はるさんは神です! ←はい!!ここ注目!!

 

本当にありがとうございました。

次回はるさんが役員をやる時には

どうか、いい方と巡りあえるようにと、

切に願います・・・。

 

ね?

 

こんなメッセージいただけるなんて。

 

あぁ、嫌な目に合っても

頑張って自分の仕事を最後まで

やり遂げて良かったなぁ〜と

思ったわけですよ。

 

 

最後の号はほんとにもう

発行されない事態に陥りそうな程

グズグズな展開になっていた。

 

どうなろうと

もう私はしーらない!!って

ほっぽり出しても誰も

文句も言えまい!!っていう感じ

だったけれど、

 

やっぱり、それは自分の中で

許せない行為で。

 

偽善者と言われても、自己満と言われても

私は最後までちゃんと成し遂げたかった。

 

 

自分の持てる力の限りをちゃんと

尽くさないと、それまでの努力すら

一緒に押し流されてしまいそうで。

 

 

人の為というよりは

自分の為にがんばったのです。

 

とはいえ、

やはり二名の支援者あってこそ

頑張れたって思ってる。

 

 

なかなか自分の思っていることを

口に出して発言することができず

はるさんばかりに嫌な思いを

させてしまったことを申し訳なく

思っていますと言ってくれた二人。

 

 

人の前で、自分の正直な気持ちを

発言するのは本当に難しいことだと

思うから気持ちはすごくわかる。

 

ましてや、つい昨日まで

赤の他人だった保護者同士が

相手を選ぶこともできず集めさせられ

協力してひとつのものを

作り上げてくださいなんて、

そんな学校側の勝手な制度で

皆が四苦八苦して。

 

それでも協力し合ってなんとか

形になって、終わってみれば

ハッピーエンドよね〜なんて

そんな甘い話じゃない

ケースだってあるのにね。 

 

 

まぁ、私は今回とても悔しく辛い

想いもしたけれど、悔しいから、

それすらも自分の糧とするように

しようと心に決めている。

 

 

子どもが小学校にいる間に何かしらの

委員をもう1回やらなければならない。

 

次こそは良いチームワークを

築きながらたのしく委員会の仕事がしたい。

 

赤の他人だったお母さんたちと

知り合って、力を合わせて、

素敵な人間関係を構築していきたい。

 

つーか、

人間関係でここまでもめたのは

生まれて初めてかもしれない(笑)

 

 

人生、経験が全てだ。

 

きっと私は少し成長できたはず。

 

 

かな?(笑)

 

 

 

おしまい。

 

 

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