じゃがいもせんべい。
今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
今思うと・・・私のぽっちゃり人生、
運命の別れ道は小3の頃かもしれない。
私の母は千葉の出身。
そして父は福島の出身。
母も父もお互い10人以上いる兄妹の末っ子だ。
母と父は就職をきっかけで東京に進出。
その会社で父と母は出会ったらしい。
いわゆる社内結婚。
自分と旦那と同じである(笑)
東京で出会った母と父。
どういう経緯で神奈川に拠点を移したのか
詳しい話は聞いたことがない。
が、姉が生まれた時にはもう
神奈川県の小田原市に住んでいて
私が生まれた時はもう小田原の隣町、
南足柄市に新築の建売を買い住んでいた。
私が覚えている範囲の話だが
小さい頃は毎年、
お正月休みは母の実家の千葉に
2,3日泊りがけて遊びに行き、
夏休みは父の実家の福島へ遊びに帰るのが
我が家のお決まりのコースだった。
私が生まれる前に一度だけ
お正月に福島に帰省したことがあるらしいが
冬の福島で母は雪国ならではである
冬の洗礼を受け大変だったらしい(笑)
外に洗濯物を干すと凍ってしまうとか、
本来帰る予定日に大雪が降ってしまい
とても帰れる状態ではないと何日か
足止めをくらったこともあるらしい。
それ以来、お正月休みの
福島への帰省は無くなったらしい。
福島の家は昔は養豚をしていた。
田舎のひろーーーい庭で虫を取って遊んだり
ひろーーーいクローバー畑でシロツメクサの
花を編み込んで恐ろしく長い飾りを作った。
家族みんなでシロツメクサで作った
超〜長いロープのような飾りを
何かのお祝いセレモニーでよく紅白の
リボンを横一列に持って並ぶのあるでしょ?
あんな感じで並んで撮った記念撮影が
今でも実家のアルバムに収まっている。
たまに豚小屋から子豚が逃走して
庭中を駆けまわたったり
家の中にまで入って走り回ったり
大騒ぎになったこともあったっけな。
懐かしい。
けして裕福とは言えない子供時代だったけど
夏休みは福島へ。
冬休みは千葉へ。
おばあちゃんに会えたり、いとこ達と遊べたり
帰省をするのが大好きだった。
両親は多い兄妹の中の末っ子だったこともあって
おばあちゃんは既にかなりの年齢だった。
なんなら親の兄妹の長男・長女あたりが
既におばあちゃんと言われても
おかしくないくらいの年齢だったしね(笑)
私が小3の頃、
千葉のおばあちゃんが我が家に泊りがけで遊びに来た。
おばあちゃんが我が家に遊びに来たのはたぶん
新築祝いの時に来たきりだったと思う。
だいぶ歳をとったし
今と違って千葉から神奈川への移動は結構大変。
まぁ、今でも遠いけどさ。
おばあちゃんが元気なうちにのんびり
泊りがけで遊びにきたらいいじゃない?
みたいな感じで決まったことらしい。
たぶん2週間くらい泊ってたんじゃないかな?
孫とおばあちゃんあるあるだが、
おばあちゃんは孫に甘い(笑)
当時の私はおこづかい制。
お小遣いはたぶんその頃、
月に300円くらいだったと思う。
当時、カルビーのポテトチップスが
いくらだったかは覚えていないが
自分のお小遣いでポテトチップスを
買おうと思ったら
おこづかいなんてすぐに吹き飛ぶ。
ふだん1個5円・10円の駄菓子を買っている
子供からしたら超〜高級菓子だ。
たまにしか食べられない大好きなお菓子だった。
ある日、おばあちゃんと近所の商店に行った。
好きなお菓子を買ってあげると言われ、
迷わずカルビーのポテトチップスを選んだ。
大好きなポテトチップスを一人で1袋食べた。
いつもは姉とはんぶんずっこだったのだが
その時はおばあちゃんと二人だけだったのだろう。
孫があまりにも喜んで食べるものだから
嬉しいおばあちゃんは毎日のように
ポテトチップスを買ってくれるようになった。
ちなみに私のおばあちゃんは当時
ポテトチップスのことを
「じゃがいもせんべい」と言っていた。(笑)
そのネーミングの響きがやたらと
面白かったので記憶に鮮明に残っている。
2週間の滞在した後、千葉に帰ってから数日後
おばあちゃんから大きなダンボールが届いた。
その中にはじゃがいもせんべいが大量に入っていた。
私はすっかりポテトチップスの虜になっていた。
わずかなお小遣いはほとんど
ポテトチップにつぎ込んだ。
お菓子といったらカルビーのポテトチップス。
好きなお菓子ナンバーワン。
そしてこのころからだ。
私の体に異変が起き始めた。
まぁ、だいたい想像つきそうなもんだが・・・
太り始めたよね(笑)
私は生まれた時からどちらかというと
華奢な女の子だった。
が、おばあちゃんが食べさせてくれた
ポテトチップにハマってしまった私。
とはいえ、お小遣いで買える
ポテトチップスの数は限られている。
小学校高学年になった頃には
じゃがいもをスライサーでカットして
自分でポテトチップを揚げて食べていた(笑)
カルビーのポテトチップに味は叶わないが
手作りのポテトチップもなかなか美味しかった。
カラっと揚げるためにはどうしたらいいのか、
薄さを変えてみたり、スライス後のジャガイモを
少し天日に干してから揚げてみたり。
試行錯誤を繰り返した。
残念なことにそこまで熱を注いだ
ポテトチップ作りだったのに、
結果どうすると美味しいポテトチップが
揚げられるようになったのか覚えていない(笑)
味にもバリエーションがあるほどまでに熱心に
取り組んだ記憶だけは残っている。
私はおばあちゃんが買って食べさせてくれた
ポテトチップをきっかけに巨漢というほどではないが
誰が見ても「ぽっちゃりね」というくらい太り
以後、人生のほとんどを
「ぽっちゃりさん」として生きている。
高3の頃、お年頃ということもあったし
剣道部でマネージャーをしていたこともあり
新人が入れば一緒に筋トレをしたり、
休みの日はレジャー施設のバイトなど
けっこうハードな生活をしていたので
「ぽっちゃり」とは言われないくらいの
体型になったこともあった。
高校を卒業し、入社して数年はその体型を
キープしていたが結婚するころには
「ぽっちゃり」に片足を突っ込みかけていたかな。
結婚して、産後、授乳生活をしていた頃に
少し痩せてぽっちゃりを脱出。
が、二人目妊娠からまた太り始め
二人目は授乳生活をしていても痩せず(笑)
またも「ぽっちゃり」生活が続いている。
おばあちゃんもまさか自分が
買い与え食べさえせたポテトチップが
ここまで孫の人生に影響を与えることになった
ことなど知らないだろう(笑)
って、まぁ
別におばあちゃんのせいじゃないと思うけど。
遅かれ、早かれ、私はポテトチップスの虜に
なっていたであろうと思うしね(笑)
おばあちゃん、結構長生きしました。
いくつまで生きたんだっけ??
働きもののおばあちゃんでした。
お葬式で火葬され最後
骨を拾うとき、斎場の人が
のどぼとけの骨を見せてくれたっけな。
のどぼとけの骨の形が
綺麗に残るのは珍しいことらしい。
しっかり働いて人生をまっとうされた方は
のどの骨がしっかり綺麗に残り
仏様のような形で残るのですよ、と
教えてくれたような気がする。
そうか、やっぱりおばあちゃんは
立派な人だったんだなぁ・・・なんて
思ったものです。
きっと、私の母もいつか天に召されたとき
のどぼとけの骨がしっかり残る人なんじゃないかな?
って思います。
家族の為にたくさんの事をしてくれている。
もちろん、父もだけど。
つい同性である母に感情移入しやすいし
母の苦労が母になった今、痛いほどよくわかるし
母への感謝も自分が母になったことでより一層
感謝の気持ちが大きくなった。
母はおばあちゃんを見習ってきたことだろう。
私は母を見習っていきたい。
娘は・・・私を見習いたいって思ってくれるかな?
そう思ってもらえるような生き方をしていきたいものだ。
おじいちゃん、おばあちゃん、
先祖の皆様から引き継いできた大事な血。
大切にしていきたいな。
おしまい。
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